

ノキアの歴史は、1865年に鉱山技師であったフレデリック・イデスタムが、フィンランド南西部の川縁に製紙パルプ会社を設立したことに始まりました。会社は「ノキア」と名づけられ、ヨーロッパでの産業化も手伝い、たちまちに大成功を収めます。そうしたなか、工場のまわりにはコミュニティが生まれて発展し、地域全体が「ノキア」と呼ばれるようになっていきました。創業者のイデスタムはセールス担当者たちの国際ネットワークをつくり、ロシア、イギリス、フランス、そして中国への輸出を行い、当時より世界的な視野のもと経営がなされていました。
また、1898年にはノキア社の隣にフィニッシュ・ラバー・ワークス社が設立され、ノキアブランドを使ってゴム長靴やタイヤ、レインコート、ゴム製玩具など各種ゴム製品の生産も始めました。
そして1912年には、ヘルシンキの中心地にノキアの通信事業のルーツともいえるフィニッシュ・ケーブル・ワークス社が事業を開始します。当時、送電や電報・電話ネットワークへのニーズが急増し、ケーブルの需要が高まっていきました。そのなかで会社は急成長を成し遂げ、海外進出の大きな足がかりとして、旧ソ連、西側諸国との取り引きを開始していきます。やがて、3社の所有権は少しずつ移転し、1966年(から1967年にかけて)、ノキア社、フィニッシュ・ラバー・ワークス社、フィニッシュ・ケーブル・ワークス社は合併し、ノキア・グループとなりました。


1960年、フィニッシュ・ケーブル・ワークス社は、当時の社長であったビョルン・ウェストルンドの発案によりエレクトロニクス部門を開設すると、その2 年後には無線通信に絞り込んだ通信システムの研究開発を本格化させていきます。研究室にとどまっていた半導体技術が産業界へ歩みだしたばかりで、ちょうど新規参入会社も業界大手も、横一列で新技術の初歩から習い始めた時期でした。
1967年にはアナログ音声信号をデジタル化し、電話線の通信容量を大幅に増やす伝送方式であるPCM(パルス・コード・モジュレーション)を初めて成功させます。 1969年には業界初となるCCITT(国際電信電話諮問委員会)標準規格に準じたPCM方式の通信機器を販売し、早い時点から先進のデジタル通信技術に注力することで大きな成果を挙げました。

1970年代後半から80年代にかけて、ノキアは自国フィンランドのみならず、国内外向けに携帯電話機や通信インフラ製品の開発に徹していきます。アナログからデジタル化する技術は、やがてノキアの地位を築き上げていくものであり、めまぐるしく変貌するデジタル化の需要を捉え、高く評価されました。
また、熾烈な競争が繰り広げられる中、ノキアはデジタル方式の通信規格の統一にも注力し、国境を越えて通話できるデジタル携帯電話を開発します。それは瞬く間にヨーロッパに広がり、ノキアは通信分野で世界のリーディング・カンパニーとして成長を遂げることとなるのです。